□ こーかいコヒ山家 □  ・日本語の間違いを指摘してほしい・ 

登場人物
僕(父)すんひゃん(母)ノボル(子)幹太(子)アボジ(義父)オンマ(義母)


平成20年

前半

平成19年

後半

前半


平成19年6月30日(土)

 夕方からの仕事へ向かう道中、偶然Marble.coの新事務所を発見する。なにやらいそがし、楽しそう、明日開店のカフェ準備でわいわいがやがやとしている。男前、太田くんに町家の中身を案内してもらった。 



平成19年6月29日(金)

 姉に子供が産まれた、ぼくはおじさんになりました。



平成19年6月28日(木)

 暑くなってくるとたっぷりとやかんで淹れるお茶が不可欠となる。昼間はそれぞれ職場、学校へと持っていくし、夜はお風呂上がりにがばがば飲む。昨年の夏はほうじ茶、その前の年は麦茶とコヒ山家では毎年流行があるようで、今年はどうやらいり番茶となりそうだ。京都の老舗一保堂でもとりあつかっていて200g税込み368円です。



平成19年6月26日(火)

 水槽のお魚たち元気かなあ?朝顔咲いたかなあ?観察するだけの仕事と思っていたクラスの生き物、植物係。ノボルにとっては誤算だったようです。餌をあげたり、水をあげたり、それがめんどくさくて、明日は雨が降ってほしいと言っている。



平成19年6月25日(月)

 以前、フリーペーパー"のぼりうち"あてに届いたメールで、小沼丹で検索をかけていたら辿りつきましたと書かれた方がいて、それをふと図書館で思い出しものだから、小説「風光る丘」、借りてみました。



平成19年6月24日(日)

 小学校の日曜参観を参観。すんひゃんは算数、僕は工作を担当した。



平成19年6月23(土)

 アボジとオンマ来京。大徳寺、墨染で物件見学。資産運用も視野にいれ、いよいよ本格、本気です。



平成19年6月22日(金)

 新しく知り合った写真な人たち3人とお茶。躁状態に入ったか、僕が強引に誘ったような気がする。今度はコヒ山家でタコスパーティーをする!、とこれまた強引に決めた。



平成19年6月21日(木)

 ノボルが風船ガムのふくらませ方を教えてほしいという。口で、絵で、実演で、できる限りの事はしたが、なかなかふくらまない。あとは手をベタベタにしながら試行錯誤繰り返すしかないだろう。



平成19年6月19日(火)

 小学校はやたらと物品を要求してくる。今回はサイズが指定された空き缶。どんなに探しても"はごろもフーズ"のフルーツ缶しか該当しない。間に合わせのもので工作しますという主旨なのか、どうなのか、これでは材料を買っているのとなんら変わりはない。それを四つときたものだから、すんひゃんはフルーツポンチをデザートにつくった。食事当番となった僕はそれをすっぽかしたので外食。家に帰ってから三人でそれを食べる。フルーツポンチに白玉は合わない、何故入れたのか悔やむも、ひとつ勉強になったと前向きに考えるすんひゃんは、はい、元気です。



平成19年6月18日(月)

 アボジの決断、すんひゃんの実家売却決定。8月末までに新しい住処を探さなくてはならない。よって、本年度は音羽川焼肉大会は中止の模様。引越までに写真で"家"を残してあげようと思う。それにはシノゴの広角レンズがほしい。



平成19年6月17日(日)

 学童のボーリング大会。体調が悪いすんひゃんの代わりに行く。お母さんたちとボーリング、ストライク出してハイタッチ。ガター続きのお母さんが娘に言う、女はヘタクソなくらいが"かわいい"のよ。



平成19年6月15日(金)

 外勤。六時前、学童にノボルを迎えにいく。いつも思うのだが学童の室内はくさい。小学生になると足がくさくなるのだ、ほんとだよ。
 帰ると、月のモノが酷いらしく、すんひゃんは寝込んでいた。仕方なく、引越祝いに頂いたホットプレートで焼きそば。



平成19年6月14日(木)

 府立図書館で借りた料理本を見ながらお掃除ミネストローネをつくる。スープとごはんだけでは文句の一つもでるだろうともう一品、イワシを煮た。夕飯はミネストローネとイワシの煮付け。



平成19年6月13日(水)

 委託販売に出していた二眼レフカメラが4ヶ月経っても売れないので持ち帰る事にした。この間、何人の人が手にとったのだろうか、ネジが緩んで裏蓋がはずれそうになっていた。これじゃ、売れない。



平成19年6月12日(火)

 すんひゃんの同僚、オンナ5人が家にやってきた。言いたい事言って、食べたいもの食べて、飲みたいだけ飲んで帰っていく。噛み合っているようで噛み合っていない、オンナの集まりらしいなあと感心する。自分の家にいながら落ち着かない、とても居心地が悪かったけど、人が家に来てくれるというのはうれしいものだ。



平成19年6月11(月)

 ゴアテックスの雨合羽にヘンプ(大麻)のトレイナー。洗い方がわからないという理由で買ってから一度も洗っていなかった。雨合羽といっても僕の使い方は普段着に近いから結構汚れている。トレイナーはそれこそ毎日のように着ている。それらを今日、お湯で手洗いしました。



平成19年6月5日(火)

 ノボルに入学祝いを持ってきたと、写真屋3.5GHがやってきた。文房具やら、いろいろといただく。そして入学式の日に撮ってもらった家族写真やらが手製アルバムにまとめられていた。なかなかいいじゃない、悪くないよ、ありがとう。オレは防水屋(3.5GHのバイト)じゃない!写真屋だ!そんな叫びも聞こえたし、唄もうたってくれたし、これからはガシガシ写真を撮ってくれるでしょう。



平成19年6月2日(土)

 携帯電話をトイレに落とし、新しい職場での慣れないエクセル操作。脱毛症は未だ治癒せず。すんひゃん、本日、30才とあいなりました。



平成19年6月1日(金)

 すんひゃん、社会復帰。前の職場、大学の図書館は出産を理由に退職していました。そこからコネコネして辿り着いたのは同大学の某研究室。なにをするのか、まだ知らない。





平成19年5月29日(火)

 朝の日差しで目が覚める。寝室は南向きの窓であるにもかかわらず裸のままだから、そそろそろカーテンでも取り付けようかと、すんひゃんとカナート洛北へ行く。窓4枚分のカーテンは想像以上に高く、とても買う気にはなれなかった。
 カーテンが無理なら簾にしようと、十年前に買った雑誌"太陽"に載っていた簾屋さんに自転車で向かった。とても親切にいろいろと説明してもらい、高級なものを買う事はできないが、手が出る価格帯で寸法を最終確認してから注文しようと思う。"太陽"を見てきたというと、お店無くなってると思わなかった?と笑いながら聞かれた。



平成19年5月27日(日)

 家に帰るとすんひゃんの顔色が悪い。ほんとに、とても悪いものだから、心配になって近寄って、どうしたと?と聞いてみる。おでこのすぐ上、頭部にぽっかり、ハゲができたといって見せられる。円形脱毛症だ。



平成19年5月24日(木)

 少しばかり頭にきてしまう。森山大道先生のトークショーに行くつもりでいたら、今晩、打ち合わせがしたいと連絡が入る。仕方がないとトークショーはあきらめて家で待つ事に。ところが待てども待てども連絡はない。結局夜遅くに入ったメールで今日はキャンセルになった。だれも悪くない、これくらいで精神を乱す自分が未熟なだけだ。



平成19年5月20日(日)

 坊さんの結婚式を撮影した。二日続けてのお経のリズムが心地よい。二次会の撮影まで頼まれて、終わった時には日が変わっていた。最後に挨拶をすると、これよかったらどうぞと、頂いたのは数珠のくっついた携帯ストラップ。



平成19年5月19日(土)

 病院関係の幹太追悼式に参加した。お経がはじまり手をあわせていたが、数珠を忘れたことが気になって仕方がない。しばらくすると、故人の名前が次々と読み上げられた。遺族が、それぞれの名前を聞き逃がさないように耳を澄ましているのが手に取るように感じられる。僕もその時は数珠の事は忘れていた。



平成19年5月17日(木)

 コヒ山家+男三人でたこ焼きをたくさん焼いてたくさん食べた。ノボルは九時には寝るから早々にprinzに移動して、あなたにとって"写真"ってなによ?と男三人に聞きながら、すんひゃんにそう聞かれた時の事を思い出す。



平成19年5月14(月)

 数年ぶりに"登り内荘"の大家さんに会った。退職したと聞いていたからどれだけ老け込んだかと心配していたが、まったく変わってないというのが印象。
 
 七つの町、だから七町会。比叡山は修学院にある七つの町の持ち物であり、よくわからないが、ガーデンミュージアムやら山頂付近の施設は七町会が土地を貸しているということになるらしい。その七町会が今年百周年を迎えるにあたってパーティーをするのでその"登り内荘"大家さんに写真を撮りに来てほしいと頼まれた。彼は七町会の役員をしているのだ。



平成19年5月8日(火)

 男二人で、春の陽気に平日の茂庵。話した事といえば、僕の愚痴。たくさん聞かす。

 そして家に帰るとさらなる危機、シロアリの羽蟻が大量発生中であった。この家もコヒ山家も崩壊寸前か。そんな事はよそに友人はコンパクトカメラでシロアリの大群に向かってシャッターを何枚も何枚も切っているのであった。



平成19年5月4日(金)

 陶芸家のかめださん家に顔をだした。帰り際、幹太にと、小鳥の形をした陶器をいただく。明日は子供の日だから幹太が見えるところに吊した。



平成19年5月3日(木)

 いっしょにご飯を食べようといって集まるような三人ではない三人でご飯を食べた。モコさんとコウイチくんと僕。自分の家だから、くつろげて、おいしくて、楽しかった。



平成19年5月2日(水)

 「コヒ山さーん」、郵便屋さんに起こされる。速達が二通、どうやら就職活動中のすんひゃん宛、これはおそらく合否通知だと察しがつく。勝手に開封するわけにもいかないので携帯で連絡をとると、すぐに中を見てほしいと言う。それならばと開けてみると、残念、両方とも不合格であった。



平成19年4月30日(月)

 メールソフトがひいひい言ってる。なんだか重たいものが届くようだ。友人がコヒ山家に捧げる歌をつくったと言っていたからそれかもしれない。数分後に開封可能となったメールを開くと、やはりそれだった。ファイル名が"denki"となっているから曲名は"電気"なのか。だらだらと、ゆるくながれて、それで語り口調なところがいい。



平成19年4月28日(土)

 12年前、東京から京都に出てくる時に祖母からふりこ時計をもらった。それが動かなくなったので修理にだしていたのだけど、部品が手に入らないという理由で修理不能との連絡が入った。また違うお店をあたってみるしかない。

すんひゃんはノボルを連れて帰省している。"明日は奈良に行く"、それだけを告げるメールが夜中に届く。



平成19年4月25日(火)

 弘法さんが晴れたら天神さんはだいたい雨なんだよ、そんな話をどこかで聞いた事を思い出し、えらそうにすんひゃんに言う。雨のバスは億劫だからと近くまで車で行って百円パーキングにいれることにする。昼から晴れの予報も手伝ってか境内はそこそこ賑わっていた。いくつかのお店を流した後すんひゃんはちっちゃな仏さんを手に取って、これは幹ちゃんだなあ、いつも持ち歩こうと言って五百円を支払う。僕はまた違うお店でくるくるまわる観覧車がついたオルゴールを買った。



平成19年4月24日(月)

 明日は天神さんだから今日中に雑務を片付けてしまおうと到着予定の荷物を待つ。来ない。それでも待つ。これがないとその雑務がこなせない。あれよあれよ、気がついたら夕方。明日死んだら"こーかい"するような一日は過ごすべきではない。



平成19年4月22日(日)

 今日は車。スバルサンバーで、往復150km。3万円で購入したこの車に乗って4年間、道中で止まってしまったのは二回だけだし上出来だ。いつまで乗れるか心配だけど、まだまだ乗れる気がする。



平成19年4月21日(土)

 胴体、具、流れ、地際、支線。架空写真、真っ盛り。

 昨日と今日、カブの走行距離合計200km。北は美山町、東は比叡平、南は九条山、西は西賀茂くらいか。とっても頑丈で偉いバイクだ。



平成19年4月20日(金)

 小学校授業参観、すんひゃんから聞いた話。
 ノボルはいいとこ見せようと何度も手を挙げていて、とうとう先生に当てられたら、忘れました、だって。

 家に帰ると幹太まわりが片付いていた。四十九日が過ぎて葬儀屋さんがいろいろと持ち帰ったのだ。ノボルはその時に幹太が天国に行くか地獄に行くか教えてもらえると思っていたようで、そのおっちゃんなんて?で、なんて?と何度もすんひゃんに聞いていた。



平成19年4月18日(水)

 ノボル学童にて、三角竹馬9級に合格。三角竹馬がどんなものか僕は知らない。

 ホームセンターコーナンで自分の部屋に置くゴミ箱を買った。それは初めての事で、今までは段ボールをゴミ箱としてきた。ところがその段ボールを部屋に置くのは風水ではよくないらしく、すんひゃん曰くなのであてにはならない、これで何かが変わるかもしれないという淡い期待をしている。



平成19年4月17日(火) 四十九日

 先輩サムさんと夕食を食べながら、四十九日の説明をしてもらう。僕もすんひゃんも納骨することへの抵抗がすこしづつ無くなってきている。



平成19年4月16日(月)

 天気予報ははずれ、雨はふらなかった。家の中で過ごす一日、すんひゃんが鼻で笑う、今日は内勤ですか?



平成19年4月15日(日)

 東大路通りを下るとなんだか賑わってきたから、今日が何日であるかを確認するまえに、知恩寺で手作り市が開催されているとわかった。僕はそれを通りすぎて烏丸丸太町へ向かった。



平成19年4月14日(土)

 すごく会いたくて、だけど会ったらどんな顔をすればいいのだろう、五年くらいそんな事を考えては偶然を待ち続けた人とついに会えた。コヒ!と言われてこれほどうれしかった事はもしかしたらなかったかもしれない。この人のもとから逃走して、そして年齢だけをかさねて戻ってきました。ただいま。



平成19年4月13日(金)

 部屋がようやく片付いてきた。

 川端通りのさくらとバス停の組み合わせがよかったから、シノゴを持ってすんひゃん連れて演出するも、大げんかになってしまい中止。二度とモデルにはならないと言われてしまった。



平成19年4月9日(月)

 ノボル、初登校。僕は新年度の匂いが苦手だから、自分の事のように胸が痛み、いきたくなくなったらいかなくてもいいんだと彼に言った。



平成19年4月8日(日)

 オンマ来京、サクラ見物、北白川。



平成19年4月7日(土)

 幹太が産まれて二ヶ月の日。



平成19年4月6日(金)

 ノボル、小学校入学式。自分だけで学校へ行く、想像しただけで不安になってしまう。第二子育て期突入、我慢我慢、それしかないか。





平成19年3月30日(金)

 今さらなのは分かっていたけど、日本レンタカーに行って実は事故してましたと言う。ルール違反だと一喝され、仕方なく警察に相談する。



平成19年3月29日(木)

 朝、「コヒ山さん、ポストだけじゃなくて、門にもひびが入っていました。」
重たいものを背負わせられた、見積もり12万円、払えません。



平成19年3月28日(水)

 引越先の家が広すぎて泣ける。昨年の暮れに、生後二ヶ月の幹太を想像して、そして決めた家だから。



平成19年3月27日(火)

 引越当日。いくつになってもこんな調子、日本レンタカーでトラックを借りて、いったりきたり、いったりきたり。隣人のポストに激突、弁償することになってしまった。



平成19年3月26日(月)

 引越の準備ができるリミット、それなのにほぼなにもしないで一日が終わる。明日トラックを借りているからそこに積んでしまえばなんとかなるだろう。



平成19年3月25日(日)

 友人の結婚式。泥臭く写真を撮ってほしいと頼まれた。



平成19年3月21日(水)

 バス、電車、バス。辿り着いたのは彦根。頻繁に行く事になったら少し嫌だなと思う距離。次は車を運転しよう。
 僕がいない間にアボジとオンマが来ていたみたいだ。今回も引き続きのお家探しをして帰ったようだ。



平成19年3月20日(火) 三七日

 朝から小雪がぱらついてる。今年の冬は三月から始まった、そう思う。しばらく仕事が多忙になる予定なのに、常に平熱以上の熱がある。これは一体どういう事なのか、少しこわいと思い始めた。 



平成19年3月19日(月)

 夜、サムさんがケーキを買って来てくれた。サクラの花びらがかわいらしいプリン?を幹太の前にお供えする。ちょっと早いけど花見をさせてやりたい、なんて言っている。ロマンチストだから仕方ない。



平成19年3月18日(日)

 幹太の事を思い出すのか、ノボルが突発的に泣く。いっしょに遊んだ少しの時間をこのまま記憶にとどめていてくれたらそれでいい。



平成19年3月17日(土)

 今日は朝と夕方に来客が三組あった。皆に線香をあげてもらい、皆に写真をみてもらった。すっかり涙することも減ってきたけど、それはそれで寂しいと思う。



平成19年3月16日(金)

 学童保育所にて入所説明があって出席した。保護者会に参加しようと思う。



平成19年3月15日(木)

 月末に引っ越すというのに、その気にならない。だからその気になろうと、契約金などを払った。その後区役所へ行って保険証関係の手続き。幹太の名前を消す手続きなのだが、名前が入ったものを手元に残したかったから嘘をついた。紛失しました。



平成19年3月14日(水)

 風邪の症状はないのに熱だけが下がらない。幹太につくしていないからだ、そうだと思う。お香台を掃除したり、香りの違う線香を新しく買ってみたりする。そして数珠を手に入れた。



平成19年3月13日(火) ニ七日

 熱がまだある。しんどくて一日中寝ていた。



平成19年3月12日(月)

 漢方田村医院へ行く。ここは東洋医学なのでとても安心してみてもらえる。ショックな事、急な寒さ、疲れ、いろいろたまってるな、と言われる。先生は僕の身体をほぐしながら言うからとても説得力がある。処方される漢方はとても不味いけど、胃がすっからかんの時に飲むと身体に沁みわたる感覚があってとても心地いい。急に良く効く抗生物質なんかはたいてい副作用があるからその時よくても後がつらい。僕は胃が弱いのだ。



平成19年3月11日(日)

 モコさん、フクちゃん、けんたろくんが線香をあげにきてくれた。幹太の写真を見せつける。



平成19年3月10日(土)

 彦根へ撮影業務。風邪が悪化したと思う。



平成19年3月9日(金)

 確定申告、その控えを児童館へ提出、給食費振込口座開設、明日の撮影打ち合わせ、お世話になった救急病院へ支払い、運送屋DB管理。
 
 幹太の写真、すべて現像、プリントを外注した。とても自分でやろうという気持ちにはなれなかった。できあがった写真を見て涙。良い写真、そんなものは普遍的には存在しえないのかもしれない。どんな写真でもそこに幹太が写っていれば、それはとても大切な良い写真なのだから。



平成19年3月8日(木)

 確定申告の書類を作成。昨年より売り上げてるのか、そうか、そうか。生きるだけのお金、それでじゅうぶん、今まで以上にそう強く思う。すんひゃん、赤子のいない一ヶ月検診はつらいだろうと病院へ同行する。



平成19年3月7日(水)

 二週間近く家計簿をつけていない。小銭がとりだしつらい、財布に溜まったレシート。日付がいろいろと語りかけてくる。幹太、生誕一ヶ月の日。



平成19年3月6日(火) 初七日

 幹太の初七日。いっしょにごはんを食べる、それしかできない。すんひゃんもノボルも僕も、みんな風邪。疲れが押し寄せてきてるみたいだけど、身体がしんどい事なんてたいした問題ではない。



平成19年3月5日(月)

 用事をして、手を動かして、その目の前の作業に集中したらやり過ごせるのかもしれない。でもそんな事はしない、したくない、幹太の事を考えつづけて、つぶれそう、こわれそう、かまうものかなんて思う。



平成19年3月4日(日)

 みんなで買い物やら、食事やら、物思いにふけりながら、時間が過ぎるように時を促す。



平成19年3月3日(土)

 線香を絶やさないことだけを考える。涙があふれる。



平成19年3月2日(金)

 火葬場にて幹太の骨をひろう。もっと時間をかけてすべてをひろいたいと思う。



平成19年2月28日(水)~3月1日(木)

 幹太が亡くなった。一日と一日がつながってしまった。苦しいとはこういうことだったのか、悲しいとはこういうことだったのか。"こーかいコヒ山家"中断。


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平成19年2月27日(火)

 くるりのギターの人がやめたんだって、という話を朝すんひゃんとする。
 二月中に確定申告をしようと思っていたのだが、細かな予定がつまってきてこのままでは無理だ。午前中にやろうと思っていた申告書の作成もうまいこと進まない。気がつけばもうお昼で、友人モコさんとの約束場所へと向かう。途中、寝坊したとの連絡がありそれならカメラ屋にでもと思い立ち寄る。一ヶ月前に委託販売に出したキャノン7が見当たらない。つまりは売れていた。臨時収入で少し気分をよくしてから、ポケットに入っていた忘れかけの撮影済みフィルムを堀内カラーに出して再び待ち合わせのカフェへとむかった。



平成19年2月26日(月)

 幹太の泣き声で目覚める。昨日から機嫌が悪いようである。
「こんなときは風呂に入れて体力を消耗させる疲れさせ保育や」とすんひゃん。午前中に入浴させて、見事寝かしてつけてしまう。



平成19年2月25日(日)

 竹藪はどこだ。琵琶湖疎水工事してるやん。ウェブサイトでは物件の"売り"になっていただけに、それがイマイチなのが第一印象となる。オンマはそれだけでもう帰ろうと言っている。ノボルは鹿の糞らしきものをみつけては、このおうちにはシカがおるんや!とはしゃいでいる。アボジは冷静に近くの業務用スーパーも見て帰ろうと言う。僕は4000万円というまったく現実感のない金額について暫し考える。そんな物件見学な一日。



平成19年2月24日(土)

 午前中、いろいろと納品業務。家を出る時にポストを覗くとポートレート展のDM。今年は参加できなかったけど時間があれば行きたいと思う。去年、この企画展では貴重な出会いがあった事を思い出す。作品展、今年も一回はやりたい。



平成19年2月23日(金)

 多忙である。ノボルを保育園に届けてからバイクで大原、その後比叡平へと行く。電柱を撮影しているのだが滋賀県となる比叡平は京都の電話局の管理下にある事を知る。平地に戻ってからノボルを拾って小学校の入学説明会に出席。その後帰宅して三重撮影のデータ処理やらをこなしてから今度はノボルを歯医者へと連れて行く。caplioGX8で口内を撮影後デジタルレントゲン。そのデータが目の前のモニターに飛んできてすぐに患者が見れるようになっていた。楽しい。



平成19年2月22日(木)

 朝、久しぶりにアボジとオンマと食卓を共にする。話題の中心にいるはずの幹太の名前はいっさいあがらず、もっぱら流行は彼らの京都移住に関する事なのである。先週京都から持ち帰った不動産のチラシを取り出してきて今の注目が山科にある竹藪つきの物件である事を教わる。いいですねと僕もおもしろ半分で言うといつになく話が盛り上がり、結局今度の週末、見学に同行することになってしまった。



平成19年2月21日(水)

 三重県は鳥羽やら伊勢やら。いくとこいくとこで牡蠣をたべなくてはならないという撮影業務。日帰り予定が、家に帰る事ができなかった。仕方なくすんひゃんの実家に泊まることにする。到着したのが夜中1時過ぎで、僕を待つというだけの仕事を託されたアボジだけが一人起きていた。



平成19年2月20日(火)

 役立たずな父さんは買い物だけを頼まれる事になる。メモ用紙を渡されてのお遣い。買い物というよりかは探し物といった感じでこれがなかなか面倒なのである。餅きんちゃく、98円。値段まで指定されているのはチラシを見て決めているからでそれが事をさらに複雑にさせているのである。



平成19年2月19日(月)

 今日はすんひゃんがご飯をつくってくれた。もはや僕のレパートリの限界なのである。毎日つくって食べるご飯はどこかで手抜きが必要で、そこで完璧を求めたらとてもじゃないけど続かない。家事を通して自分の大きな欠点が見えた気がする。



平成19年2月18日(日)

 鮨をごちそうになる。体調が万全でないのか思うように食べられない。家で待つノボルとすんひゃんにお土産を買って帰る。それなりに喜んでもらえたようでよかったが、すんひゃんは「眠たい」とばかり言っている。無理もないか3,4時間に一度は授乳したりオムツ替えたりしているのだから。



平成19年2月17日(土)

 あたらしい請け負い先でのテスト。どこまでやれるかということなのだがダメならダメで結構。僕は僕、あなたはあなた。



平成19年2月16日(金)

 生活の変化というのはどうしてこうも急激なのだろうか。いくつかの仕事、今住んでいる家、そして子供。どれも完璧にやろうとしても無理なのだから、いい加減にちゃんとやればいい。今日はイチゴ大福が買えた。それで十分ではないか。



平成19年2月15日(木)

 出生届け提出。命名、"幹太"とかいて"かんた"。すんひゃんが"かんちゃん"と呼びたいと言うからそう呼べるような名前にした。

晩ご飯はサバの味噌煮にほうれん草のおひたし。



平成19年2月14日(水)

 ひどい雨。前々からバレンタインにはイチゴ大福と約束していたから修学院の和菓子屋さんに車でいく。ところが定休日通りの休み。バレンタインと言えばチョコなので和菓子屋が休みでもなんら不思議ではない。残念。



平成19年2月13日(火)

 すんひゃん、赤子とともに無事退院。朝から掃除、洗濯、買い物等をすませて受け入れ態勢を整える。とても大変な日々、開幕。



平成19年2月12日(月)

 朝から百貨店に行き、ノボルのランドセル、入学式用の服等を予定通り買ってもらう。黄疸が酷いらしく今日は赤子と対面不可能となり父母が泊まるホテルで食事。外食が続く。胃がもたれる。



平成19年2月11日(日)

 父母来京。もちろん第二子を見に来たのだが、ついでにノボルのランドセルを買ってくれるという。やらしく言えば予想通りなのだが、素直にありがたいなと思う。そのノボルとの二人生活も残すところあと二日。寝る前に頬を近づけたら、「あんまし近づかないで、でも遠くにもいかないで」と言われた。父としてはそれで十分だなと思う。それ以上でもそれ以下でもなく、そのくらいで。



平成19年2月10日(土)

 京都幼児音楽フェスティバル。ノボルが京都会館のステージに立ったのだ。保育園での集大成ということもありこれをとても楽しみにしていたすんひゃんはつらいだろう。代わりに僕が見に行ったのだがまわりのお母さま方がおめかしして泣いているのには驚いた。母とはこういう形で子供の成長を目の当たりにしては涙を浮かべる生きものなのだ。



平成19年2月9日(金)

 子供が産まれる前にスーツをクリーニングに出していた事を思い出した。仕上がり後三日以内にお引き取りいただけない場合は保管料が発生しますだの書いてたような事が頭の中をよぎる。とりあえず何食わぬ顔で引換券を渡してみる。やはりおどしか、なにも言ってこないではないか。まあ些細な日常にドキドキするのも悪くない。

赤子の名前、決めなくては。



平成19年2月8日(木)

 ノボルと二人暮らし。ああこの感覚、すんひゃんの家出以来だなと思う。主婦業は想像以上に忙しい。炊事、洗濯、軽く掃除。ノボルは五時半まで保育園だからそれまでに買い物。期限付きだからかな、きっとそうに違いない、とても楽しい。このペースを普段から心がけよう、いつもの軽鬱にならないかもしれない。

赤子の名前、決めなくては。



平成19年2月7日(水)

 夜中2時、破水。すやすやと寝息をたてるノボルを起こしていっしょに病院に行くか聞く。睡魔には勝てず一人で寝ておくという。車を取りに行く間に病院に電話しろと言って駐車場へ。すんひゃんはいたって落ち着き払っていたが、前回このパターンで帝王切開になっていたから彼女がそのことを考えているのはすぐに分かった。ぼくはその事には触れずにただ黙って安全運転で病院にむかった。到着後すぐに陣痛はこないので僕はすぐに家に帰ることにする。それじゃと言って行こうとすると、ノボルの保育園の送迎に関して念を押される。明日は卒業記念写真の撮影日なのだ。
 次の朝、約束通りノボルと保育園まで行ってそのあしで病院へと向かう。病室に入ると甲高い叫び声。助産士さんも先生も「うるさすぎ」とカンカン。他は知らないが相当にひどいのだろう、本気で怒っているようだ。それでも胎児の頭は順調に下へと進んでいるようですんひゃんはいよいよ分娩室へと連れて行かれた。覚悟はして決めていたはずなのにただただ眺めていたら、「あんた立ち会うんやろ!」なんて僕まで怒られている。急いで中に入って手を握る。叫ぶすんひゃん、怒る先生。戦場と言われるのはこういう戦いがあるからなのかなと無理にこじつけては頭が遊んでいる。立ち会うと言っても男にできることはそれを傍観することであり、男がお産に立ち会うこととはそもそもそういう事なのかもしれない。ただ見る、ひたすら見る。今度はその光景が滑稽に見えてきたりする。手を握ってもどうしても参加しているという感覚にはなれず、終いにはこの場での自分の存在理由なんて考えはじめている。

そうこうしてたら新たなチンコが産まれていた。



平成19年2月6日(火)

 幼い頃から習い事が続かない。夢中になる前にやめてしまう。今続けてる写真というものも習ったわけではない。ところが今日は一日習い事の日。練習、練習でなにかが身に付くという感覚、忘れていたというか生きてて何回体感しただろうかなどとと暫し考える。



平成19年2月5日(月)

 寝る部屋が南向きの窓付きになったから、朝の強い日差しが心地良い。それで目覚めるのがもったいないので、いつもそれを浴びてさらに二度寝をする。差し迫る事、そんな事がある時に限って僕はなにもしない日々を堪能するようになる。ただ、何かが変わっている、自分じゃなくて、まわりのいろいろが。それをひしひしと感じる。



平成19年2月4日(日)

 家族で朝10時に出発。そういう約束だった事を11時に起きてすぐ思い出す。すんひゃんが何も言わなくなった事がなによりも恐ろしいと感じる。これは諦めなのか、それとも慣れなのか。普遍的愛を手に入れたと勘違いでもしておこう、それが幸せだ。



平成19年2月3日(土)

 吉田神社の節分祭。祭りで財布の紐が緩くならないとは相当家計が危ないと見る。すべてがぼったくりにしか見えない。わかっている、わかっている、そういう事ではない事くらい。



平成19年2月2日(金)

  路頭に迷う。ひたすら自転車でうろうろ。こういう日もある、そうでないことの方が多いではないかと言い聞かせる。食事中に子供の前で箸を投げる。よくない事である。



平成19年2月1日(木) 

 酒を注ぐのが苦手。これは間違いなく自分が注がれたくないからだと思う。好きなように、自分のペースで呑みたい、それだけ。社会的には人付き合いの「当たり前」みたいなところがあるようだけどまったく迷惑な話。
 今日は写真屋仲間と居酒屋へ。気軽でいい仲間だなと思う。注ぐ注がれる一切なしの関係が好きである。







平成19年1月31日(水)

 ヤフオクでネットワーク資格の本を購入したのだが、まだ到着しない。オークションというもの、いつかは騙されることもあるだろうと一応の覚悟は決めているつもりでも、待っている間はとても不安なものである。それがたとえ数千円の物だとしても。明日も明後日も会社に行ってパソコン漬けになることを決めた。



平成19年1月30日(火)

 仕事請負先大転換の巻。そんな2007年にするのである。写真屋業界の大先輩とハローでお茶。移籍関係では過去に数々のいざこざを起こしている僕は今回こそはスムーズにと相談を持ちかけたのだ。やっぱり何事もお話はしてみるものである。視界が開けた気がした。
 その後京都の伝統喫茶である静香さんへ移動。喫茶かカフェを舞台にした写真を撮ろうと考えているのでハローにつづいてその下見を兼ねる。久しぶりに中に入ると空間がとても小さく感じられた。久しぶりと言っても体の大きさが変わる程の年月ではないのだから、記憶なんていい加減なものである。



平成19年1月29日(月)

 困ったなあ、今月の仕事量では生きていけないぞ。時間はあるがお金がない。言い換えると、写真は撮れるがフィルムが買えない。悪循環。今後仕事をどうしようだの無駄な考え事を午後二時くらいまでしてようやく諦める。そんな毎日より作品用の演出を考える毎日を送るべきだ。でもまずはやっぱりお金か。あと二週間もすれば二児の父へとランクアップするんだった。
 夕方、カメラのナニワへと向かう。カメラ二台ぶら下げて、委託販売に初挑戦。さあ、誰か買うだろか、キャノン7とワゴフレックス。



平成19年1月28日(日)

 午前中、ノボルは踏水会(水泳教室)でミドリサカナ(級)に昇給した事がうれしくて仕方ないようで自転車の後部座席ではしゃいでいる。道中、京大から抜け出るとアボジとオンマが今出川通りの方から歩いてくるのが見えた。僕はお正月に大阪に行かなかったことを少し後ろめたく思っていたから、会うなり苦笑いをしてしまった。お久しぶりですとアボジが言う。もちろん分かっておりますと僕が思う。



平成19年1月27日(土)

 オーサカセブン、写真ショーと昨年僕の写真展を見ていただいた方から陶芸家の女性をご紹介いただいた。そして今日その方の作品を撮影する事になっていた。打ち合わせなしの撮影は婚礼でなくとも気が張る。その日に値段交渉やら撮影内容、仕上げ方までの話をしなくてはいけないからだ。当然プロとしてお客様に提案するというスタンスが当然なんだろう。しかしどうもそういう事が苦手である。僕の性格ができる限りなんでも自分でやろうというものだからか、相手もそうなんじゃないかなと考えてしまうのである。そして終いには決まって「なぜ僕に頼むんやろ?」なんて事になる。うーん、優秀な交渉人を雇うくらいの器になりたい。



平成19年1月26日(金)

 朝、堀内カラーまで現像の上がりを取りにいく。ワカメちゃんを撮った一枚、日中なのに長時間露光になっていたようで失敗。ああ、なんて言い訳しよう。正直に言うしかあるまい。ごめんなさい。
 午後、目を付けていた貸家の中を見せてもらう。広いし、平屋だし、車置けるし、今より家賃安いし。見学後手付け金払って、一応引っ越しが決定した。二月に子供が産まれて一ヶ月で引越。母にはハードスケジュールとなる。



平成19年1月25日(木)

  午後、先日のタトゥー撮影の後に開かれたおでん大会でお近づきになれたワカメちゃんとお茶の約束をしていた。会うなり、午前中に撮影欲をそそられた場所までいっしょに行ってモデルをしてもらう。イメージの作り込みが甘かったか、僕の悪い癖、コントのようになってしまい、暫し反省。何事もやり過ぎはいけない。ちょうどいい、頃合い。この感覚を養う事が生きることだななんて思う。



平成19年1月13日(土)

 昨年オーサカセブンという写真展でご一緒した大島氏が京都へ来るという。僕と同じ大判カメラのspeedgraphic、スピグラを買って以来頻繁にいくつかのメールを交わしていた。今回の来京都の目的はなんとタトゥースタジオで実際に彫り込みされてる女性を撮るとか。なんだか怖いなあなんて思ったけど、そんな経験もなかなかできないだろうと、いっしょに行かせてほしいと頼んでみることにした。もしかしたら迷惑だったかなといつもの悪い妄想が走るも、即オーケーしてくれたのでついでに少しお手伝いをと三脚を持っていく事にした。ありがとう、トミーさん。



平成19年1月1日(金)

 午前11時起床、京都で迎える正月は初めてだなあなんて思う。昨年の暮れから、二月に産まれてくる子供の名前がなかなか決まらないからと、手作りの凧に第一候補の名前を書いてその揚がり具合?でも見てみようなんて考えていた。年二回発行されれば良しとなったフリーペーパー"のぼりうち"の編集長と鴨川へと向かう。初めて作った凧は思ったよりも高く高く揚がり、子供の前でええとこをとがんばる父たちのゲリラカイトを余所に、『あづ』凧は地上80メートル付近をしばらくの間ゆらゆらしていたのでした。

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